アドバイスの仕方

大学時代のテニスを思い返しても、後輩で俺より強くなったヤツらは当たり前だけど、俺のアドバイスを聞くだけじゃなくて、勝手に俺の想像を超えていった。 先輩から後輩にするアドバイスなんて、感覚的には7,8割は外れてる。受け取る側はテキトーに取捨選択すればよくて、言うことをよく聞くだけの後輩はかわいいけど大成しないし、そんなの求めちゃいけない。 「ほめて伸ばす」とか、「アドバイス」とか、「手本を見せる」とか、そんな直接的な働きかけは要素として小さすぎる。どうでもいい。

テニサーって、2,3年とかのテニス経験しかない人が、初心者の新入生に教えてあげなきゃいけない。自分のことですら試行錯誤な状態でなんとか教えようと思うと、「みんなが言ってることをそのまま伝える」に落ち着く。 就活って、年齢が近いからという理由で新人や、下手すると内定者が就活生にアドバイスしてあげなきゃいけない。自分の就活しか知らない状態でなんとか教えようと思うと、「自分の武勇伝を話す」に落ち着く。 賢いやつは、自分からいろんな人の話を聞いて取捨選択する。素直なやつは、いろんな人の話を聞きすぎて混乱する。どちらでもない大勢は、一番身近な人の話だけを鵜呑みにする。

社員を宣伝してやる

MVPとかとった社員を、取材してコーポレートサイトに載せてくってどうだろう。マネージャーとして出世して行く人ならともかく、プレイヤーとしての能力が高い人に大きく報いることができる方法って限られてると思うし。 組織が大きくなるほど、会社の目標と個人の目標はズレていく。社員にとってのいい会社とは、売上や利益が伸びていく会社じゃなくて、福利厚生が充実してたり、のちの転職に有利な会社だったりするわけだ。 社員の市場価値をあげるのはそれなりに努力がいるだろうが、市場価格をあげるだけなら簡単だ。宣伝してあげればいい。

「青島、待機だ!」現場の判断に任せてはいけないこと


会社でセキュリティ研修を受けた。
例えば機密文書を紛失したりした場合、
現場に柔軟な対応なんて全く求められていない。
強制が必要で、バカの一つ覚えのように従えば良い。

このように、「現場の判断に任せる」というのは、使い道が限定される。
大抵の人が正しく動けるけどミスると被害が大きい、
クレームや事故の対応などは、管理者が強制するべき。
1つのファインプレーと1つのミスの合計が、マイナスになるケース。

部下に失敗させて成長させるといったケースの失敗は、
チャレンジングな失敗という意味であって、
むやみにネガティブなミスをさせることではない。

例えばエンジニアであれば、
設計や実装は、社内標準を作るよりも大いに失敗させるべきだろう。
しかし障害の検知や報告などに関しては管理者が強制すべきで、
これを個人の判断なんかに任せてはいけない。

ただし、現実に即さないルールは、現場の賢い人間によって適切に無視される。

  • 自転車は車道を走れ
  • 赤信号は車が来てなくても渡るな
  • お酒は20歳から

「ルールだなんて明言しなくても、7割の人間は守る」くらいのルールを、
残りの3割のために制定する、くらいのライン。
どこにルールを設けるか、その判断こそがマネジメントだ。

株価なんて興味ない

普通の平社員が株価気にしろとか無茶な話だよな。株価が倍になったって、業務にも評価にも給料にも何の影響もないし。 あ、でも、ペットボトルが20円値上げされたことは、会社の隅々までちゃんと浸透してるからご安心ください。人間だものww 要するに、自分にどんな影響があるのかがわからないと、重要な情報であろうが拡散していかない。SEOで言ったら、どうすれば順位が上がるかよりも、できるだけ身近な成功例を示すことが重要。というわけで、今ちょっとログを見てあげてる某案件には実は大いに期待している。 ノウハウ共有に限らずだけど、組織が社員に対してできることって、フィードバック、もっと嫌な言い方をすると、評価だと思う。流れができたら、そこで初めてそれを仕組化する。新しい道路を作るんじゃなくて、今あるけもの道を舗装してあげるってイメージ。

無能の法則


以下wikiより抜粋

無能の法則(ピーターの法則)とは
組織構成員の労働に関する社会学の法則。

■1.
能力主義の階層社会に於いて、
人間は能力の極限まで出世する。
すると有能な平(ひら)構成員も無能な中間管理職になる。

■2.
時が経つに連れて人間は悉く出世していく。
無能な平構成員はそのまま平構成員の地位に落ち着き、
有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。
その結果、各階層は無能な人間で埋め尽くされる。

■3.
その組織の仕事は、まだ出世の余地のある、
無能レベルに達していない人間によって遂行される。

平構成員としての素質と中間管理職としての素質は別物だから云々
という話はいったん横においておこう。

全社員にギリギリ有能でいられる地位を与えると仮定すれば、
社員の能力から、会社が健康でいられる最大規模を算出できる。
この健康保障規模より、会社のビジネスが小さいうちは問題がない。

ただ、健康な会社は業績が伸びてビジネスも大きくなるから、
会社の規模を大きくする必要がでてきて、いつか健康保障規模を超える。
そして、すべての会社は不健康にたどり着く。

これを打開するには、会社の規模を大きくするのと同時に、
健康保障規模も大きくしていかないといけない。
つまり、能力の高い社員を追加しないといけない。
そして、多くの場合、
「下に追加するんじゃなくて、上に追加しないといけない」

嫌な話ですよね。

「君の部署の業績が順調なので、
部署の規模を20人にしたい。
でも君の能力では10人を統率するのが限界だ。
だから外部から優秀な人材を獲得するので、
その人の下で今までどおり働いてくれ」

っていうことなのかな。

それじゃあんまりだっていって、
素直に昇進させてしまったりすると、
そいつは無能レベルに達してしまうわけだ。

環境が人を育てるという側面もあるにはある。
でも一本道のキャリアパスで、
育つために必要ないろんな経験やスキルを全部そろえられるとは思えない。

もっと言ってしまえば、一時的にパフォーマンスを落としてでも 、
それまでとは別の仕事をしなくては、ステップアップできないだろう。
成果主義だと、それは給料の低下にもつながる。
たぶん大きな弊害が出ていると思うけど、 別の話なのでいったんおいとく。

能力の極限ってのはきっと、
性格や小さいころの経験などに大きく影響されてる。
簡単には大きくできないって意味で 、
あながち間違った法則とは言えないと思う。