生物らしさとは何か

Bio-likeness-生命の片鱗-という展示会に行ってきました。そこで見た、「Cyclops」というロボットの話です。

僕の中で、ロボットと対比させる時の生物らしさとは、「無駄」でした。ロボットは効率化を追求するため、無駄な動きをしない。それに対して生き物は、じっと動かないでいることができません。絶えず無駄な動きをしていることが、ロボットを生きているように見せる一つの要素だと思っていました。

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昨日ソフトバンクショップで見たpepperというロボットはその点、とても無駄な動きの多いロボットでした。いかにも人間味があるはずなのですが、しかしこれが、まったく生きているように見えないのです。まぁ、このロボットの本質はコミュニケーションとかの部分にあるんだと思うので、そんなところを突っ込まれても・・・という感じでしょうが、とにかく全然自然じゃない。(写真の引用元)

 

 

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そこで、Cyclopsですよ。言ってみればこいつは、背骨と筋肉しかない。人間を構成する要素としては、pepperよりも全然足りていないはずなんです。なのになんだこの圧倒的な迫力は。

つまり、ロボットを生き物らしく見せるには、骨格が必要だったんです。pepperにはきっと、背骨がなかった。表面が体そのものを支えてしまっている不自然さが、ロボットらしさにつながってしまったんだと思います。もしかしたら、昆虫っぽい、となら言えるかもしれません。(写真の引用元)

 

 

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人間の目は影に対して異常に敏感で、デッサンやCGでも、不自然な形の影を正確に見抜くそうです。それと同様に、きっと人間の目は骨格に対しても鋭い感覚を持っていて、生き物のような形をしたロボットにも違和感を与えるんだと思います。

表面だけでできているpepperではなく、骨の通ったCyclopsのような人間になりたいものですね。

キャッシュ・ボム

シューティングゲームにおけるボムと、生活における現金には、多くの共通点がある。まずどちらも、使いどころによっては非常に大きな効果がある一方で、弾数には制限があるということ。逆に効果がない、あるいは薄いケースも多いこと、ゲームではそれはボスキャラであり、生活においてはいわゆるお金では買えないものがそれにあたる。そして多くの人がその使いどころを十分に理解しておらず、使うべきところで使う判断ができていないという点が、最も残念でもったいない共通点だ。

日常生活において、お金さえ払ってしまえば簡単に解決する問題は多い。タクシーや指定席といった安いものから、住宅のように非常に金額の大きいものまで。世の中の大半にはすでに値段がついていて、簡単な問題はキャッシュ・ボムによって片付けてしまうことで、キャッシュ・ボムの通用しない問題に全力を注ぐのが正しい戦い方と言える。

ただしゲームとは違い、現実のキャッシュ・ボムは人によって使える回数や威力が変わってくるため、自分がどの程度キャッシュ・ボムを使えるかは各自が把握しておかなくてはいけないし、自分でストックを増やさなくてはいけない。そしてもちろん、さまざまなトラブルがどれくらいの金額で解決できてしまうのかをシミュレーションして知っておかなくてはならない。5年間悩むような問題が、10万円払って解決できるかもしれないのだ。

お金の稼ぎ方はみんなが興味を持つが、お金の使い方も同様に重要であるにもかかわらず軽視されている。もっとお金の使い道に対して敏感になって、先手を取って使おう。

休日も仕事したほうがいいと思う

私は「結果」だけを求めてはいない。「結果」だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…近道した時真実を見失うかもしれない。やる気も次第に失せていく。
—アバッキオの同僚(ジョジョの奇妙な冒険)

自分だけかもしれないけど、平日に職場で働いていると、どうしても結果を欲しがってしまう。早く作業を終えて家に帰りたいからエラーメッセージでググって、ヒットしたブログの解決方法をそのまま当てはめてみる。プログラムが動いたら「やったー!できたー!!」でウキウキ帰宅。これでは何も次につながらない。

大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている
—アバッキオの同僚(ジョジョの奇妙な冒険)

でも休日は違う。そもそもなぜ動くのか?なぜこういう仕様になっているのか?休日なんだからどんなに遠回りしたって誰にも迷惑はかけない。そう思うと、ググるワードも変わってくるし、書籍を買ってじっくり読み込もうっていう気になる。

オンとオフははっきり分けたいから、家には仕事を持ち込まない。それはそれで立派な信念だと思うけど、俺がそれをやろうとすると、きっと近道ばかり探して、同じところをグルグル回りそうな気がする。出口はきっと、職場にはない。

皇居ランって体に悪いよね?

軟骨は消耗品だってよく聞きます。ひざの関節を痛めて引退に追い込まれたスポーツ選手はいくらでもいるし、無理にマラソン走ろうとしてひざを痛めた友人も数名います。

日本はマラソンが強かったり駅伝が人気あったり、走り込み信仰みたいなものがあったり、走ることに対するイメージがかなり良いです。

桑田はジャイアンツ球場の外野をただランニングし続けた。桑田が走り続けた部分は芝が剥げ上がり「桑田ロード」と呼ばれるようになった

基本的には美談に語られているんですが、ここで大切なのは、ジャイアンツ球場の外野は、芝のグラウンドだということです。テニスだってハードコートとクレーコートじゃ体への負担がまるで違うのに、これがもしアスファルトだったら・・・絶対怪我します。ひざを悪くした野球選手が、負担の大きい人工芝の本拠地を持つチームから、負担の少ない天然芝のチームに移籍したりすることがあるくらい、地面は大事なんです。アスファルトで走りこみするスポーツ選手はたぶんいません。

健康寿命とは日常的に介護を必要としないで、

自立した生活ができる生存期間のこと。

健康のために始めたはずのランニングは、きっと長期的に見て自分の健康寿命を縮めます。日本だと、寿命と健康寿命が10年くらい違うみたいです。平均して10年くらいは介護を受けていることになるけど、足腰悪いからってケースは結構多いだろうし、そう考えるとランニングがブームなんてとんでもないことです。今すぐやめさせるべき。

皇居は、アスファルトな上に排ガスまみれな、最も走ってはいけない場所

太っているとさらにひざへの負担は大きいので、やせたいのであれば間接への負担の少ないプールを使うべきです。せめて空気のきれいな公園で、土や芝生の上を走るとか。排ガスまみれで、アスファルトの上を、太った人が走る。こんな不健康な話がまかり通ってるのが不思議でなりません。

保険のパンフレットに絶対載ってない一番重要なこと

近代の保険には投資の要素もありますが、保険の一番シンプルな形は掛け捨てです。対象もひとつに絞られているとなおシンプルで、掛け捨て生命保険が典型でしょう。世にあふれる保険商品は、例えば医療保険に入院保障などを組み合わせて保険の対象を広げることでバリエーションを増やしたり、投資の要素を組み合わせてお金が戻ってくるようにして、保険の本質から目をそらすようにできています。

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