夏に休むという時代錯誤な考え方はもうやめよう

夏ですね、暑いですね。

夏というのは、どう考えても冬と並んで日本の四季の中で遊ぶのに適さない季節だと思うのですがどうなんでしょうか。もともと冷房がなかった時代、さすがにこう暑くては勉強できんとか、畑仕事を手伝わないといかんといった理由で夏に長期の休みを設けたんでしょうが、今は時代が違います。冷房だってあるし畑仕事なんてない。

夏と冬は空調の効いた室内でしっかり勉学に励み、過ごしやすい春と秋に外でスポーツとかレジャーとかを楽しめばいいんです。読書の秋とか冗談じゃない、夏こそ外なんかで遊ばずに読書するべきです。子供たちだって、こんな暑い日に部活やったって疲れるだけで上達なんてしませんよ。日本のカレンダーが3か月ずれて秋が部活のシーズンになったら、確実にレベルが上がります。

子供の夏休みに付き合うお父さんたちも大変そうです。ポケモンスタンプラリーがなぜ地獄絵図かというと、それは真夏だからです。あれが秋なら、ガチになってスタンプを集めるのはお父さんたちになります。疲れたとグズる息子を励ましながら、目をギラギラさせたお父さんたちが首都圏を駆け回る構図に変わるはずです。

もちろん、これによって負の影響を受けるところもあるでしょう。まず真っ先に浮かぶのは音楽業界です。TUBEにとっては死活問題になるでしょう。「あー夏休み」は黒歴史になってしまうかもしれませんね。湘南乃風、オレンジレンジあたりもダメージは免れません。サザンやケツメイシ、ゆずあたりはオールシーズンいけるのでなんとか生き残れそうです。

ちょうどつい最近、千葉市で学校に冷房を導入するかどうかの議論があり、夏休みもあるから限られた期間しか使われない、ということで却下されたそうです。しかしシリコンバレーで一番いいことは気候、みたいな話も聞きますし、1年の1/4を占める夏の扱い方は、真剣に向き合わなければいけない議題だと思います。

他にも、海というコンテンツそのものが、夏休みという援護射撃を受けて過大評価されているんだと思うんだよなー。

夏休みがなくても、夏、好きですか?

ワールドカップ1分2敗になったとしても、僕がザックに続投してほしいと思う理由

この話をする前に、日本サッカーが目指すゴールの話をしなければなりません。みなさんは、Jリーグ100年構想というのをご存知でしょうか?ざっくり言うと、Jリーグは地域に根差した、生活の一部になりましょうっていう話です。巨人のように全国区のチームを作るのではなく、全国津々浦々に「おらが街のチーム」を作りましょうという、Jリーグの基本理念です。

では、日本代表のゴールはどこでしょうか?僕は、死ぬ前に、日本がワールドカップで優勝するところが見たいです。

98年のフランス大会で、日本は初めてワールドカップに出場しました。2002年大会では、地元開催で初めて勝利を挙げ、グループリーグを突破します。ところが2006年、トルシエの管理サッカーから脱却しようと招へいしたジーコは無能でした、最低でした。日本代表は、4年間を無駄にした上に、ヒデをサッカーの舞台から追いやりました。今度こそクリエイティブなサッカーを、と後を継いだのはオシムでしたが、残念ながら体調を崩し岡田監督が後を継ぎました。ろくにチームの完成度が上がらず、何度も何度も解任論が上がり、最後の最後で恥もプライドも捨てて引きこもりサッカーに切り替え、全盛期だった中澤闘莉王や、すでに守備ではワールドクラスだった長友の活躍で結果を残します。

この中で、日本のワールドカップ優勝に向かって時計の針を進めたのは、誰でしょうか?僕は、トルシエだったと思います。その他の監督たちは、ひたすらに退屈なサッカーをして、見るのも辛かった。

ザックはどうだったでしょうか?思い出してください、オランダ戦、ベルギー戦、ヨーロッパの強豪を相手にアウェーで互角以上に戦いました。それも、引きこもったんじゃありません。がっぷり四つです。ザックのサッカーはクリエイティブでした。見ていて楽しかった。練習時間が少ないはずの代表チームが、流れるようにパスを回しました。史上最強の左サイドを作り上げ、20年間続いた「日本代表の決定力不足論」に終止符を打ちました。たった2戦と言うかもしれません。しかし、まぐれでできる試合でしょうか?ヨーロッパの強豪と互角に戦うのと、ワールドカップで本来の力を出し切れないの、どっちがまぐれでしょうか?

日本代表は今、ちゃんと対策しなければ足元をすくわれるかもしれない、というポジションのチームです。ついにここまで上がってきた。得意のスタイルを持っているんです。調子に乗せたら結構強いんです。史上最強なんですよ今の日本代表は。ザックは針を進めることができる監督です。たったの4年間で、得意のスタイルを作り上げたんです。次の4年間で、うまくそれが出せなかったときもいろんなオプションを持っているようなチームを作ってくれる、そう思いませんか?

ザックを解任して、次を誰がやるんですか?岡田監督ですか?オシムですか?ジーコですか?トルシエですか?ザックよりも日本代表を前に進めてくれて、しかも結果まで残せる監督を探してきますか?そんな超優秀な監督が、日本代表の監督をやってくれますか?

 

僕が推すのはアルベルト・ザッケローニ、現日本代表監督です

 

 

なぜタバコは良くてドーピングはダメなのか

まずはこのtweetを読んでもらいたい。アンチドーピングの大義名分として、プレーヤーたちの健康を損なうというものがある。しかしこれは逆に言えば、健康を損なわないドーピングならやってもよろしいという理屈になってしまう。為末さんの言葉を借りればそれはサプリメントと呼ばれ、メッシが使っている成長ホルモン剤は、治療ということになっている。

プレーヤーたちの努力と別のところで行われるレベルアップは競技の公平性を損ねるという言い方もできるが、これにしたってスポーツメーカーが日々技術を磨き、使っている道具はレベルアップしている。最近だと北京オリンピックで水泳の高速水着レーザーレーサーを着た選手が世界記録を連発し禁止になった。これだってきっと劇的に向上しすぎたから目をつけられただけで、例えば数年かけて記録を伸ばしていたら正当な技術の進歩として認められたかもしれない。

少し違うジャンルの例で言うと、私は、タバコはただの嗜好品ではなく、ドーピングとしての性格を持っていたりするのではないかと思っている。健康を害するが、頭がすっきりしてパフォーマンスが上がるのであれば、それはドーピングに似ている。

もちろん、サプリメントや治療との線引きが難しいし、道具だって進歩するんだから人間の肉体だって進歩していいし、タバコだってドーピングみたいなものなのに認められてるんだから、ドーピングだって認めてあげようよ、などと言いたいわけではない。しかし、ドーピングという言葉の定義は極めてあいまいなもので、多くの人がドーピングと聞いただけで条件反射するようなわかりやすいものではないのだということは言いたい。白か黒かではなくグラデーションで、自由にすると歯止めが効かなくなるから適当なところで制限しましょうね、なのだ。

今は、ドーピングを禁止している側が、少し感情論になってしまっているように感じる。例えば、ある薬物をドーピングとするか、サプリメントとするかの基準についての議論が不十分で、本来は認めてもいいような薬物までヒステリックに禁止してしまっているような気がするのだ。

正当性のないルールには、プレーヤーだって従わない。それぞれが持つ倫理観にしたがって抜け穴を探す、といったことが正当化されやすい。禁止はされてるけど実際には健康に問題なさそうだし、だったらバレなきゃ使っていい、と。

大切なことは、ドーピングを取り締まることではなく、プレーヤーの健康を守りながら、誰もが納得できるルールの上で、公平な勝負をすること。健康被害0の薬物を全員が使うようになれば、ドーピングの効果は相対的に小さくなる。例えばそういう防ぎ方だって、考えられるんじゃないだろうか。

ゴルフの体験レッスンが予想通りひどかった話

近くの某ジムで体験レッスンやってるっていうから行ってみたんです。正面と後ろからスイングを撮ってくれてフォームがチェックできるという優れもののシミュレーションマシンを使います。プロのスイングと比較してどこが悪いかチェックできるなんて自慢げに言ってくるんですよ。その時点でまあだいたいの想像はついていました。

いざレッスン・・・いや、あれをレッスンとは呼びたくないですが、始まってみると、何回かスイングしてみて、「あなたのスイングのよくないところはココとココとココ!だからこう直しましょう」みたいなことを言い始めるんです。
いやあなたそれはレッスンじゃなくて間違い探しですよ、と。そんなことは素人にだってできるんです。高いお金を払ってあなたに期待することは、そんなことではありません。

プロのスイングのマネをするのがいいと思い込んでるんですよね。しかも、そのプロというのも特定の誰かのことを指していて、たった1つ正解のスイングというものがあり、それにいかに近いかどうかがスコアを決めると思っているようです。
人にはそれぞれ違いがあり、それは性格的なものだったり、筋肉の付き方だったり、今までの別のスポーツの経験だったりするわけです。軍隊や、機械のチューンアップじゃないんです。ひとりひとりにあったフォームを提案してほしいんですよ。

「今あなたのスイングはこうなっていますが、意図があってそうしているのですか?」

これくらいの質問はあって当然です。「アイスホッケーからゴルフに転向した選手が変わったフォームをしているが参考にならない」と言っていましたがとんでもない。プロのコーチを名乗りたければ、その選手こそが貴重な見本です。そういう引き出しの多さが、どれだけそれぞれに合ったアドバイスができるかを決めるのです。

いろんな選手のフォームを知っていること、その意図を自分なりに理解して消化していること、相手に合ったフォームをチョイスできること、それを言語化して伝えることができること。いいコーチっていうのは、そういうことだと思います。

なぜ日本一になった楽天星野監督の采配が批判されるか

まず、背景から簡単に説明します。

特にメジャーリーグでですが、最近は投手の肩やひじは消耗品であり、投げさせすぎるとケガの原因になって選手生命を縮めてしまうという考え方が主流になってきました。WBCで厳しい球数制限が設けられるのはそのリスクを減らすためで、甲子園でエース投手が毎試合完投したりするのが問題視され始めたのもそのためです。疲れると打たれて負けるから、ではないのです。

今回、田中は土曜日の試合で160球を投げ完投しました。メジャーでは100球を超えるとケガのリスクが飛躍的にあがってしまうと考えられているため、先発投手は好投していても100球前後で交代させられることが多いです。ダルビッシュが120球投げただけでかなり批判されます。それと比べても160球というのはべらぼうに大きい数字で、そもそもこの160球だけで、土曜日から批判にさらされていました。

そこに加え、日曜日の最終戦に田中は9回から登板し、胴上げ投手となりました。160球投げた翌日に投げさせるのはこの理論から行くと狂気でしかありません。先発した美馬が好投していたことや、前日田中は巨人打線につかまってピンチの連続だったことを考えると、少なくとも勝つための采配ではないのは明らかです。

その一方で、エンタメの視点から見ると、田中が空振り三振で楽天の日本一を決めたことには非常に非常に大きな意味がありました。イチローの次世代を担うスーパースターが不在の野球界に誕生した国民的ヒーローは、多くの人たちに野球を見るきっかけを与えてくれました。今年の春に行われたWBCの、何倍も。

桜木君……白状します
君の異変にはすぐに気づいていた……気づいていながら君を代えなかった…代えたくなかった
どんどんよくなる君のプレイを見ていたかったからだ……指導者失格です
あと少しで一生後悔するところでした…

ここからが本題です。160球投げた試合の星野監督のコメントで、「田中が投げさせてくださいと言った」というのがありました。試合に出ている選手は、自分から替えてくれなんて言いません。投げさせてくださいと言うのが当たり前です。それでも選手の将来を考え、怪我のリスクを未然に防いであげる、それが指導者というものでしょう。「投げたいと言ったから投げさせた(だから俺は悪くない)」なんてコメントは最低です。

星野監督にも、1回だけチャンスがありました。冷静でいられるうちに、最終戦のベンチメンバーから田中を外せば良かったのです。160球だけならまだ批判は少なかった。このチャンスを逃した星野監督は、3-0の最終回にフラフラの田中を送り、ホームラン出れば同点というピンチまで追い込まれながらなんとか抑え切りました。

楽天日本一の瞬間に田中がマウンドにいるということは、リスクを負ってでも目指す価値があることでしょう。しかし星野監督は、そのリスクを田中にすべて押し付けました。先発した田中を早めに交代させることでケガのリスクを減らしつつ最終戦で使えたのですが、「先発した田中を途中で替えることで、もしそのあと楽天が逆転した場合はもう一度は田中を使えない」というリスクを自分が負う代わりに、田中のケガのリスクを取りました。

オヤジの栄光時代はいつだよ…全日本のときか?オレは…………オレは今なんだよ!!

その一方で。もし田中にこんなこと言われたとしても、「俺なら替えていた」と言い切れる者のみが、星野監督に石を投げなさい。ちなみに知ってのとおり安西先生にはできませんでした。僕にもできないでしょう。

今のところ、賭けは吉と出ています。感動しました。最高の日本シリーズでした。ただ、2009年のWBCのあと、燃え尽きたイチローがメジャーで大きく調子を崩したように、来年田中が不調だったりしたら、今回の采配は必ずやり玉にあがります。来年も田中が絶好調であることを祈ります。