名言botみたいなものはたくさんあるが、名言は一瞬の刺激を与えてくれるとはいえ、人の考え方を変えたりはしない。名言はその人が積み重ねてきたものの上に立ってはいるものの、名言そのものには何もこめられていないから。 本当に人に影響を与えるのは、それを書くことそのものに労力が注ぎ込まれている本などであり、読む側もそれ相応の時間をかけて読み直したり解釈したりして、やっとはじめて人の考え方が変わる。 tweetのようなものは、どんなに良いことを言っていたとしても所詮消耗品であり、どんなに積み重ねたとしても愛用品の代わりはできない。検索エンジンにインデックスされたブログの記事はまさに人類の財産だが、1日前のtweetなんてインデックスする価値がない。
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血となり肉となる
本っていうのは、何度も読み返してこそ意味がある。
1回読んだのは、口に入れただけの段階。
「これはおいしいな、飲みこもう」
「好きじゃないな、吐き出そう」
その判断をしている段階。
自分の日々の無数の判断に反映していくには、
考え方に溶け込ませていくには、
気分を変えて何度も読み返さないといけない。
本棚にあるのはその途中の本である。
今まさに消化している本、そして飲みこもうとしている本が並ぶ。
つまり本棚というのは、その人の現在と未来を映し出す鏡である。
過去ではない。
だから、本棚は大きくなくていい。
すでに自分の一部となった本は、本棚には必要ない。
電子書籍であろうと、数十GBといった容量は必要ない。
自分の一部になった本は、いつだって内容を思い出せるはずだ。
いや、当たり前すぎて、思い出す必要すらないかもしれない。
「あきらめたらそこで試合終了だよ」
読みすぎてボロボロになったスラムダンクは、もう本棚に必要ない。
日本人の血となり肉となったその言葉はもう、
安西先生だけのものじゃない。
読みたくなったらすぐ読む
読みたい本があったら、その日のうちに読み始めなきゃ意味がない。Amazonは確かに便利だが、本屋を探して見つからないとき以外はポチらない、明日届くじゃ遅いから。そういう意味で、電子書籍にはすごい期待している。「あとで読む」系のサービスって、興味を持った瞬間が一番吸収いいっていう脳の特性の逆を行っている気がする。amazonの1日ですら惜しいのに。
ビューティフルドリーマー
押井守が監督の、うる星やつらの劇場映画第2作。
ルパンを宮崎駿が描くとカリオストロになり、
うる星やつらを押井守が描くとこれになると言われた名作。
劇中では、「学園祭前日」が永遠に続きます。
永遠に続けばいいのにと願う「非日常」として、
学園祭の本番ではなく、準備日が選ばれてる。
社会人の今だから思うんだろうけど、
なんとなく大学生活そのものが非日常だった気がする。
たまにあってもいいとは思うけど、
永遠に続くのはごめんだし、
戻りたいとも思わない。
夏休みが半年あったら本当に楽しいか?
っていう話。
貧乏人は家を買え
「貧乏人は家を買え」って本がなかなかおもしろかった。要するに、家族全体でお金を回して、銀行に利子を払ったり、高い家賃払ったりしなくてすむようにしようって本。俺の立場から突き詰めると、「もし親からローンで利子半分なら、さすがに賃貸より買ったほうがいいだろ?」になる。 とはいえ、一ヶ所に永住するっていうモデルは時代遅れだと思うし、住まなくなったら貸せばいいってのもリスクが高いと思う。2年契約前払いで賃貸料を安くしますみたいなパッケージ出ないかな? ○○不動産みたいな方々が、東京のあちこちで開発を進めてるみたいだけど、東京全体の消費が増えない以上、ただの新陳代謝でしかないのかな。全体の消費を増やすには、人口を増やすか単価を増やすかだけど、どちらもあんま期待できなくないか?「2半荘やって誰がカモかわからない時は、自分がカモだ」という麻雀の格言がある。成熟市場はゼロサムゲームに近いから、負け犬を作らないと、自分が負けるか全員負けるかだな。