卒業式

卒業式でした。

立派な学位記をいただきました。

でも・・・

アカデミックガウンというのをレンタルしたんです。

角帽とかそういうヤツ一式。

それを着て、じいちゃんちに見せに行ったんです。

そしたらじいちゃんもばあちゃんも大はしゃぎで、

「俺にもかぶらせてくれ」とか言っちゃって。

親心ってなかなかまだ理解し切れません。

俺は正直、全然感動がありませんでした。

筑駒の時と違って、俺は一度も東大で涙を流してない。

何も一生懸命やってないし、つらいことなんてなかった。

今日一日、なんかのお祭りに出ていたような、そんな感覚。

卒業してもどうせ、いきなり人間関係が劇的に変わったりはしない。

きっと、聴く音楽みたいに少しずつ変わっていくんだな~

勉強しなさい

※勉強の意義に関しての議論はとりあえずおいといて

たぶん、実際勉強したほうが良いんだろう。

でも、普通の子供は親ほどは、勉強の重要性を理解できない。

親が”勉強したほうがいい”という結論に達するまでの過程を踏んでないから。

何かを理解するために必要な失敗というものがある。

それを知らない人間が飛び級でそれを理解することはできない。

ここで、自分の失敗しか糧にできない人間と、

人の失敗を踏み台にして自分をステップアップできる人では

雲泥の差が出るんじゃないか。

失敗を共有する環境の有無という要素もあるだろうし。

マニュアルのようなものを作るとき、

”失敗の継承”を見落とさないようにしなくちゃいけないんだろう。