年末

実家に帰ってきてます。

せっかく時間に余裕があるんだから、

ゆっくり本でも読んでいたいところなんだけど、

本を読むには実家は少々うるさすぎるようで。

おかげでもっぱら、行動時間が家族が寝静まった後、

つまり俺の本来の行動時間と違う時間に移動していたり。

それにしても、なんでこんな時期に大掃除なんてやるんだろう。

時間に余裕があるときは、やりたいことをやるのに適している。

忙しい時は、やりたくないけどやると意味があることをやるのに適している。

年末年始は当然、やりたいことをやるために使うべきなんじゃないのか。

大掃除なんてものは、試験前にでもやればいいんじゃないだろうか。

年末にやるより早く終わることを保証する。

大掃除じゃなくて頭脳労働だったりした場合は、

クオリティも向上することうけあいだ。

遊んでる時に、「ヒマなら○○して」なんて頼むのはナンセンス。

「ごめん、今ヒマだから、忙しくなったらやるわ」

・・・へりくつかなやっぱw

実に非論理的だ

福山雅治「なんでそう思う?」

柴崎コウ「刑事の勘」

福山雅治「実に非論理的だ」

『論理的』って言葉は定義が難しい。

たとえば、『論理的』の反対語は?

『非論理的』?それは『熱い』の反対を『熱くない』って言ってるようなもの。

『感情的』?『感情的』の反対は『理性的』のような気がする。

なんとなくだけど、『再現性』の有無が関係してくるのかな。

誰がやっても同じ結果が出る。それが論理的。

勘は人によって結構違う結果が出ることもある。

勘には本当に論理的なのと比べて欠点が二つあって、

ひとつは、他人に説明できないということ。

もうひとつは、自分の経験のみをもとにするということ。

どちらの欠点も、さっきの論理的の定義からすると致命的。

勘は確かに論理的でないかもしれない。

ただ、勘って、根拠がないわけではない。

自分の経験を基にして、途中をすっとばして結論を導いてるだけ。

経験をつめば勘はみがけるし、

経験豊富なもの同士は、似た勘を持てるんだと思う。

というわけで、勘を大事にしよう、勘をみがこうと思う今日この頃です。