禁止薬物だったものが今は禁止ではない例がたくさんあります。ある時期ではドーピングでも、今はサプリメントなんです RT @kaaazzz1:もしドーピングが許可されるようなことになれば健康はもちろん,スポーツが本来持つ一般的にクリーンなイメージが無くなりスポーツが社会的に非難される
— 為末 大 (@daijapan) May 1, 2012
まずはこのtweetを読んでもらいたい。アンチドーピングの大義名分として、プレーヤーたちの健康を損なうというものがある。しかしこれは逆に言えば、健康を損なわないドーピングならやってもよろしいという理屈になってしまう。為末さんの言葉を借りればそれはサプリメントと呼ばれ、メッシが使っている成長ホルモン剤は、治療ということになっている。
プレーヤーたちの努力と別のところで行われるレベルアップは競技の公平性を損ねるという言い方もできるが、これにしたってスポーツメーカーが日々技術を磨き、使っている道具はレベルアップしている。最近だと北京オリンピックで水泳の高速水着レーザーレーサーを着た選手が世界記録を連発し禁止になった。これだってきっと劇的に向上しすぎたから目をつけられただけで、例えば数年かけて記録を伸ばしていたら正当な技術の進歩として認められたかもしれない。
少し違うジャンルの例で言うと、私は、タバコはただの嗜好品ではなく、ドーピングとしての性格を持っていたりするのではないかと思っている。健康を害するが、頭がすっきりしてパフォーマンスが上がるのであれば、それはドーピングに似ている。
もちろん、サプリメントや治療との線引きが難しいし、道具だって進歩するんだから人間の肉体だって進歩していいし、タバコだってドーピングみたいなものなのに認められてるんだから、ドーピングだって認めてあげようよ、などと言いたいわけではない。しかし、ドーピングという言葉の定義は極めてあいまいなもので、多くの人がドーピングと聞いただけで条件反射するようなわかりやすいものではないのだということは言いたい。白か黒かではなくグラデーションで、自由にすると歯止めが効かなくなるから適当なところで制限しましょうね、なのだ。
今は、ドーピングを禁止している側が、少し感情論になってしまっているように感じる。例えば、ある薬物をドーピングとするか、サプリメントとするかの基準についての議論が不十分で、本来は認めてもいいような薬物までヒステリックに禁止してしまっているような気がするのだ。
正当性のないルールには、プレーヤーだって従わない。それぞれが持つ倫理観にしたがって抜け穴を探す、といったことが正当化されやすい。禁止はされてるけど実際には健康に問題なさそうだし、だったらバレなきゃ使っていい、と。
大切なことは、ドーピングを取り締まることではなく、プレーヤーの健康を守りながら、誰もが納得できるルールの上で、公平な勝負をすること。健康被害0の薬物を全員が使うようになれば、ドーピングの効果は相対的に小さくなる。例えばそういう防ぎ方だって、考えられるんじゃないだろうか。