血となり肉となる

本っていうのは、何度も読み返してこそ意味がある。

1回読んだのは、口に入れただけの段階。
「これはおいしいな、飲みこもう」
「好きじゃないな、吐き出そう」
その判断をしている段階。

自分の日々の無数の判断に反映していくには、
考え方に溶け込ませていくには、
気分を変えて何度も読み返さないといけない。

本棚にあるのはその途中の本である。
今まさに消化している本、そして飲みこもうとしている本が並ぶ。
つまり本棚というのは、その人の現在と未来を映し出す鏡である。
過去ではない。

だから、本棚は大きくなくていい。
すでに自分の一部となった本は、本棚には必要ない。
電子書籍であろうと、数十GBといった容量は必要ない。

自分の一部になった本は、いつだって内容を思い出せるはずだ。
いや、当たり前すぎて、思い出す必要すらないかもしれない。


「あきらめたらそこで試合終了だよ」
読みすぎてボロボロになったスラムダンクは、もう本棚に必要ない。
日本人の血となり肉となったその言葉はもう、
安西先生だけのものじゃない。