才能、努力、個性

努力したものが全て報われるとは限らん。
しかし! 成功した者は皆全て努力しておる!!
–鴨川源二(はじめの一歩)

どんなにきれいごとを並べても、生まれ持った先天的な差は認めざるをえない。体格だったり、家柄だったり、周りの目から見てはっきり違うものから、センスと呼ばれるもののように、わかりづらいものまで。

とはいえ、偉大な功績を残すような人は、恵まれた才能だけでなく、もちろんそれに見合うだけの努力をしている。「選ばれるのは結局、なんにもできない、お嬢様」なーんて本気で言ってるヤツは、お嬢様がお嬢様であるためにしている努力や払っている犠牲に目を向けないし、自分だって何もできない。大黒摩季に限らず、代弁してるだけで本人はきっと思ってない。

というより、才能のある人はたいていの場合、平凡な人より努力する。周りより結果出せるんだからそりゃ楽しいし、期待をかけられすぎて後に引けなくなるケースもあるかもしれない。がんばったって勝てなそうだからがんばらないのと同様に、その選択には合理性がある。

重要なのはスタート。ここで周りよりいい結果を出すと、才能の有無にかかわらず、レールに乗ることになる。才能がないのにレールに乗せられた人は後々苦労する。そしてもし才能があっても、運悪くスタートで結果を出せなければ、努力できるかは本人次第。ここで努力を放棄した場合は、才能がないのにがんばってる人のかませ犬としての役割を担うことになる。

「YOU PLAY WITH THE CARDS YOU’RE DEALT」
(配られたカードで勝負するっきゃないのさ)
「WHATEVER THAT MEANS」
(それがどういう意味であれ)
–スヌーピー

人には必ず先天的な個性があるってのを仮に認めたとしても、残念ながらその個性には優劣が付けられる。どーすんだよ、自分の個性が「世界一まばたきが速い」とかだったら。

周りを見渡して、必要そうだけど誰もやってないことを見つけて自分をはめこめば、そこではじめて自分の個性と言ってもらえるだけの話。生まれつきの個性なんて軽々しくもてはやしちゃダメだ。