自分という駒-プレイングマネージャーはうまくいかない

『このチームを変えたい』

そう思ったことある人は結構いるんじゃないかと思う。
実際に試行錯誤した人も多いと思う。
学生時代はサークルでした。
もっと勝てるサークルにしたかった。
もっとたくさんの人にテニス好きになってほしかった。


このとき、他の人たちの長所短所は考える。
この人がこういう役割を担ってくれて、とか。
でも、『自分という駒』をどこにおくのが最適かは
あまり考えなかった気がする。

そりゃ、自分が何をするべきかは考えますよ。
そのときの見方がきっと主観的だったんですよね。
自分の力を過大or過小評価しやすいというか、
他の人が描く青写真と自分のポジションが違うというか。

自分という駒は、自分の思い通りに動かせると思ってしまう。
でも、盤の外から見た自分は、
すごい偏った能力を持った気分屋で、
使い場所を選ぶ駒だったりするはず。

でも普通なかなかそこまで客観的に自分を見れない。
だから自分がプレイングマネージャーとして引っ張るのではなく、
監督というポジションの人が必要になったりする。

プレイングマネージャーってのは響きはいいけど上手くいかない。
監督とキャプテンって似てる気がするし、
タスクレベルで考えれば兼任できるんだけど、
「実際に手を動かさない」という立場の人間が監督で、
きっとそういう視点を持った人が必要なんです。
だから、そもそも兼任できるものではないのかなと思います。

監督とキャプテンは立場が違うから、
目の前の事象については意見が対立する。
そこをうまく解決していくことで、
チーム全体が長期的にいいパフォーマンスを出せるのかなと。

なので周りにプレイングマネージャーを見かけると、
僕の中で警告音が鳴るのです。